伝説と呼ばれるポットスチルがある。
北海道余市蒸溜所。
ここはニッカウヰスキー創設者である竹鶴政孝が日本で初めて建てた蒸溜所。
ウィスキー作りの本場スコットランドで培ってきた技術と経験の全てを、ここ余市という地にかけた。
「日本でも本物の、最高品質のモルトウィスキーを作ることができる。できないはずがない。」
政孝の強い信念が本場スコットランドから日本へと伝承し、そして今もなお受け継がれている。
余市蒸溜所で使用されているポットスチルは「ストレートヘッド型」と言われ、胴体部分に膨らみがないタイプのもの。
これは政孝がスコットランドでウィスキーを学んでいたころ、研修先のロングモーン・グリーンリベット蒸溜所で稼働していたものと同じタイプだ。
ロングモーン・グリーンリベット蒸留所は今から100年以上も前に創業し、現在はロングモーン蒸溜所として稼働し続けている。
蒸溜方法においても、余市蒸溜所とロングモーン蒸溜所はほぼ同一である。
石炭直火蒸溜という方法で加熱を行なっている。
蒸溜を行うにあたっては、砕いた石炭を窯にくべて温度を管理しなければならない。
石炭の独特な熱量がウィスキーに魂を吹き込む瞬間だ。
これらの作業はコンピューターなどでコントロールされているわけではない。
すべては熟練の職人によって、手作業で的確に温度管理されているのだ。
静かにゆっくりと石炭を焚くことで、よりよい香りが生まれる。
このストレートヘッド型ポットスチルという昔ながらの形状が、重厚でコクのあるモルトを作り出す。
しかしひとたび加減を誤れば、出来上がりの品質はバラバラになってしまう。
温度を上げ過ぎても、また逆に下げ過ぎても最高品質のウィスキーはできない。
最適な火力を維持する技術を体得するまでには、10年という年月がかかるという。
現代では技術が進歩し他にも蒸溜方法は存在するが、余市蒸溜所では今も変わらず石炭による加熱にこだわっているのだ。
果たして、この方法が最も優れた製造方法なのかは分からない。
労力だって並大抵のものではない。
石炭に向かって毎日汗を流し働けば、顔は真っ黒になる。
しかし出来上がるウィスキーが香り豊かで深みを持ち、力強いとされる「余市の味」が完成するのであれば、作る価値があると製造に携わる職人たちは口をそろえる。
どんなに技術が発達し、効率的な製造方法が開発されたとしても、この味が受け入れられるのであれば石炭直火蒸溜を受け継ぐ意味があるのだろう。
だからこそ、余市蒸溜所の製法にはこだわりがあるのだ。
余市蒸留所のこだわりは蒸溜だけに留まらない。
貯蔵においても最高を追求する。
「いい原酒と、いいブレンダーと、いい樽があって、初めて良いウィスキーができる」
政孝が認めた樽職人、小松崎与四郎はニッカ創業時から樽作りを任されていた。
樽を作るためには、木の一本一本の特性を知る必要がある。
その癖や個性を読んだうえで、さらに熟練された技と勘が要求される。
ゆえに当時の日本には樽づくりの名人と言われる人物は5人いないとされていた。
そのうちの一人が、小松崎与四郎である。
小松崎はその技を伝承するため、樽作りの指導に徹した。
厳しい重労働の末、残った職人は16人中2名のみ。長谷川と佐々木だった。
その2名が小松崎の技をしっかりと受け継ぎ、また長谷川と佐々木の指導を受けた職人が、現在もニッカの樽を守り続けている。
「僕はいいウィスキーをつくる。君たちはいい樽をつくってくれ。」
政孝が長谷川らに言った言葉、彼らは政孝からの厚い信頼があったからこそ、良い樽を作ることができたのだろう。
長谷川に関しては、「世界の樽職人15人」の中に選ばれるほどの逸材にまで成長を遂げ、ニッカの樽職人として自慢できる存在となった。
しかし長谷川が樽づくり30年目を迎えた頃、50年前の小松崎の樽を見て、「自分の樽の未熟さ」を思い知ったというのだから、小松崎の樽がどれだけ完成されたものだったのか計り知れない。
これらあらゆる分野のスペシャリストが集結して作り上げられる「余市の味」。
創業当時から受け継がれてきた、こだわりある蒸溜方法と、木の特性を知り尽くした職人が作る完璧な樽。
ここ余市で誕生し、そして熟成を重ねたウィスキーには、スコットランドの懐かしさと余市の風土が織りなす絶妙な風味が生まれる。
様々な苦労を乗り越えて守り続けられている香りとその味を、ぜひ堪能してもらいたい。
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