CMや街中の看板でお馴染みの国産ウィスキー「サントリー角瓶」。
コンビニやスーパーなど、手軽に購入できることから、親しみやすいお酒でもあります。
またコストパフォーマンス的にもかなり手頃。
ついつい買ってしまう人も多いのではないでしょうか。
ゆえに「いつでも飲めるウィスキー」「どこにでもあるウィスキー」という概念が強くなってしまっているのも事実。
結局のところ、「価値のあるウィスキー」という印象は受けにくいお酒でもあります。
他のウィスキーに比べると、飲む目的が少し違ってきてしまうような・・・。
価格的な違いもありますが、サントリー山崎や白州などとは飲み方や味わい方が異なっているのは確かだと思います。
しかし、この「サントリー角瓶」ですが、本当はけっこうすごいウィスキーなんです。
というより、サントリーを代表する国産ウィスキーです。
話はサントリーの前身である壽屋の時代に戻ります。
ウィスキーを好んで飲まれる方であれば、「竹鶴」もご存じだと思います。
ニッカウィスキーの「竹鶴」です。
ニッカウィスキーの創業者は上記のボトル名にもなっている竹鶴政孝氏。
もともと壽屋の創業者である鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏は、本格的な国産ウィスキーの製造という共通の目標を持っていました。
鳥井氏が竹鶴氏を壽屋へ招聘したのです。
ところが、両者のウィスキーに対する考え方の違いから分裂。
現在のように、サントリーウィスキーの鳥井氏と、ニッカウィスキーの竹鶴氏となったわけです。
このような経緯から、大阪にある山﨑蒸留所は、ニッカウィスキーの竹鶴氏が設計したという事実はちょっと有名な話。
さて、この「サントリー角瓶」の歴史を語ろうとするとだいぶ長い話になりますが、歴史が長いだけに数々の逸話もあります。
「サントリー角瓶」のベースとも言えるウィスキー「サンントリーウィスキー12年」が1937年に発売。
このウィスキーは竹鶴氏が貯蔵・蓄積した原酒を元に、鳥井氏が日本人好みの味に作り上げたもの。
この頃、日本では長く続く戦争により海外からのウィスキーが輸入停止状態となっていました。
しかし、その状況下であったからこそ「サントリーウィスキー12年」の知名度と売り上げが好調に伸びていったとも言えるのです。
国民は舶来産のウィスキーを入手することができないため、必然的に国産のウィスキーを飲むことになったからでしょう。
これを機に壽屋のウィスキー事業が軌道に乗り始め、追い風が吹くように同ボトルが大日本帝国海軍指定品となったのでした。
つまり「サントリーウィスキー12年」が軍需品として扱われたのです。
それにより戦時中の食糧統制のもとにおいても、ウィスキーの原料となる穀類の供給を受けられたのです。
以降、1950年代に入り正式に「サントリー角瓶」と称され、1990年代にはボトルにもしっかりと「角瓶」と刻まれるようになりました。
製造者による絶妙なブレンディングに加え、これら複数の条件やタイミングがプラスに作用し成功につながったのでしょう。
まさに、造り手の努力と時代の背景が織りなす奇跡のボトルと呼んでも過言ではないのかもしれません。
現在においては大衆的なウィスキーとなってしまいましたが、以前は特級ウィスキーに区分されていました。
のちの税制改革により価格が大幅に低下し、今日のように多くの人たちが親しみやすいウィスキーとなっていったのです。
ちなみに角ハイボールが流行り出したのはサントリーの思索だとか。
角瓶ボトルの販売低迷に伴い、なんとか売り上げを回復させようと力を注いでいるという噂。
でも確かに居酒屋で飲む角ハイボールは格別に美味しい。
ついつい杯数が進んでしまいます。
暑い夏、ビールでの乾杯も良いですが、角ハイの乾杯も最高ですよ。
機会があれば、オールドボトルもぜひお試し下さい。
熟成が進み香りも楽しめるウィスキーです。
ボトルにも「KOTOBUKIYA」の文字が・・・。
ロックで飲んでも実は美味しい「サントリー角瓶」の紹介でした。
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